「卵のふわふわ」/著 宇江佐真理
8050.jpg

相変わらずこの人の本ばかり読んでいる。
人生の機微が、大袈裟な装飾もなくそのまんま描かれてあるので。
なので、ただの絵空事の話だけではなく、心に残るから。

だから次から次へとこの人の本に手を伸ばしたくなる。



最近はさ、果物がやたらと美味しくて。

柿、梨、キウイ、バナナ。
あと、小粒だけどみかんもスーパーに出回るようになってきまして。

いつも一度の買い物で1種類の果物を買って、せっせと食べてます。


そんな、秋の静かな夜長。
。。。というか、おとといの夜の話。

風呂上がり、化粧水をパタパタ付けながら、ぼんやりと考えてた。

この、化粧水パタパタ・・・・の時ってさ、はっきり言って頭ん中カラッポ状態なのよ。
そういう時、無意識に何事かを考えてしまうクセ(?)が私にはあってさ。


そう。
んで、おとといの夜は、「死」について考えてました。

身近な人が、いつかはいなくなること。
あの人も、この人も、いつかはいなくなるんだな、ということ。

ここ二、三年くらいか、もっと前からだったか、
そんなことを、ふとした時に考えることがある。

例えば、身近な人の死というものは、
「寂しい」「悲しい」という以前に、不意を突かれてびっくりすることに似ていると思う。

今まで当たり前のようにそこにいた人が、忽然と姿を消してしまう。

有り得ないことが普通に起こってしまった驚きと、その後にくる虚無感。


私がいつも感じる身近な人の死って、いつもそんな感じだ。



生まれてこの方、冠婚葬祭じゃぁ結婚式よりも葬式に参加することが圧倒的に多かったせいかさ(笑)
子供の頃から「死」に対する意識はあったんだ。

子供の頃に意識してたそれは、ただただ怖いものだったけど。

今はね、

「いつか自分が死ぬ」

それまでの準備としてどんなふうに生きていこうかと。


そんなことをぼんやり考えてる。

人の一生は短いものだけど、それをただ「儚い」と憂いて悲しんでいるだけじゃぁ何も生まれない。



化粧水パタパタやりながら無意識に考えたこのことは、もしかしたら父親の命日が近いせいかもしれません。

父親の死は、そりゃぁ最初は衝撃的だったし、激しい悲しみだったけど。
今は不思議なことに、私に向かって「生きろ! 生きろ!」と、誰かに鼓舞されてるようで。
あんまりうるさいので、毎日前に行かざるを得ない毎日です(笑)


誰かが言ってたんだけど
身近な人が亡くなると、はじめは激しい悲しみだったのが、のちには静かな悲しみに変わる、ってさ。

それなら、私はようやく静かな悲しみを迎えられたのかもしれないな、と思う今日この頃であります、はい。

雨に濡れた南天
8049.JPG 赤く色付き始めてる(^^)
スポンサーサイト
2011.10.24 Top↑
Secret

TrackBackURL
→http://fairground.blog78.fc2.com/tb.php/1321-2ad090cd