先日行われたCHABOさんのバースデーライヴで、村八分の『草臥れて』を演ったんだとさ。

ぅわっ! ちょっとそれ聴きたかったな。
CHABOさんが歌うソレは、想像がつくようで、やっぱりつかなくて。

んでもってステージに登場する時は、ビートルズの『When I'm Sixty-Four』がバックに流れたんだと。

やはり・・・というか(笑)

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なんとなく冨士夫ちゃんに思いを馳せながら、忙しすぎた怒涛のこの一週間を振り返り、体を酷使した原因で起こった腹下しと、定期的動作で勝手にピクピク動く右目玉下の筋肉の痙攣を抱えつつ、それでもライジングサンの録画を途中まで観ていて気持ちはチョーベリーハッピーで過ごした10月の夜。

そんなわけで、約一週間のご無沙汰です( ̄ー ̄)ノ
それでは、改めまして東京散策記
参ります。



10月18日(土)
朝8時34分仙台発の新幹線に乗り込み、10時過ぎには上野着。
野音は翌日19日に行われるけれど、今回は、、、というか、今回も行きたいところがあって一日早めに上京。

今回、行きたいところは、吉原。
そして、山谷堀公園。
吉原は吉原でも、行きたい場所はその中の「吉原神社」と「吉原弁財天」。
実は「吉原弁財天」には二年前にも行ったんだけどさ。いろいろ思うことろがあって、もう一度訪ねたかったのよね。

上野で新幹線を降りたあと、日比谷線に乗り、まずは三ノ輪駅へ。
三ノ輪駅で降りてから、危うく反対方向へ行きかけそうになりつつも、すぐに軌道修正して二年前と同じ土手通りを墨田川方面へ向かい、元、吉原へと足を延ばす。

前回行った時は9月。しかもその時は友達と二人で(・・・私が無理やり誘っちゃったんだけど)。
9月と言えば、秋の気配を漂わせつつも、まだ夏の暑さが残る季節。
真夏のようなジリジリした暑さはもうないけど、それでも歩いていればジワジワと汗をかいてくる。

翻って今は10月。
そして、ワタシ一人。
七分丈のシャツにカーディガン。
夕方寒くなった時のためのジャケットを一枚手に持って、暑くも寒くもない、気持ちのよい秋晴れの中を花街へと向かう水商売とは無縁の中年婦女子。

画(え)として想像してみれば、どことなく奇妙なようでそうでもないような。。。
そんな考えをめぐらす暇などなく、その時の私はただただ目的地に向かって歩いていた。
足元には見慣れない桜の花の形をかたどったようなマンホール。
そして、これまた見慣れない緑色したガードレールにはイチョウの葉がかたどってある。

(あー・・・・・東京、、来たんだな)と、思った。
どこにでもありそうな街の風景で、ここがどこなのかほんの一瞬忘れそうにもなるけど、見慣れないマンホールとガードレールで、ここが東京なんだと改めて認識させられる。

三ノ輪駅から歩いて数分。
吉原入口にある見返り柳の碑に到着。
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そこから吉原大門へと続く、独特の曲道を歩いていく。
chari ここは駐輪場にでもなっているのか、自転車がズラリ。

そして、大門に到着。
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ここら辺、今も色街として営業しているお店がたくさんあるため、先へと進むにつれてお水っぽいお店が次々と見えてくる。それらのどれもが、昭和の香りを残したような雰囲気を漂わせている。
途中、自転車に乗って見回りをしていた警察官に、不審そうな目でチラリと見られる。

やっぱ、この雰囲気の中で、ワタシ浮いてたのかしら...(^。^;)
それとも商売女っぽく見えたのか、「アイツはどこの店の女なんだ?」とか?(苦笑)

いやいや・・・さすがにそれはないかwww


時間はそろそろお昼にさしかかろうとする時分。
それぞれの建物の中では開店準備に追われているのか、どこかザワザワしている。
右や左へと曲がる横道はいくつもあったけれど、そのまま吉原の奥へと続くまっすぐな道を歩き続けた。
やがて右手に病院が見え始め、その手前に吉原神社が見えた。

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二年間にこの神社の前を通り過ぎた時は、赤い幟がたくさん立っていて、とても華やかで賑やかな印象を受けたんだけど。
あのときは何かの祭典でもやってたのかな?
でも今日は、そんな赤い幟もなく、いたって普通の神社。
そろそろと中に入ってみる。なんとなく大きい神社をイメージしていたけど、実際はとても小さいところだった。
ここに来る前に、何度も地図でこの場所を確認していたから、小さい神社だということは分かっていても良さそうなものなのに。
吉原っぽく(?)赤を基調とした本殿の色彩が華やか。
この本殿の隣には、お稲荷さんの祠が祀られてあった。

まずは、本殿に向かってお賽銭を投げて、二礼・二拍手・一礼。
本殿とその周りをゆっくりと眺めた後、吉原神社を後にした。

この吉原神社から少し歩くと、前回も訪れた吉原弁財天がある。
さっきの吉原神社がとても開けた感じのところだったのに対して、こちらは草木と柵に囲まれているせいか、一見外からは中の様子が伺いにくい。
ここは、1923年の関東大震災で亡くなった遊女たちを供養するための場所だから、さっきの吉原神社とは雰囲気が一変しているのは無理もない。

中に入ると、見上げるような岩山のてっぺんに観音像がこちらを見下ろしている。
全体的に暗く、ひんやりしている。でも陰気な感じではない。
落ち着く・・・と言ったら変かな? でも、そんな感じ。
私のほかにも、ここを訪ねている人が数人チラホラ。


あの、ここにね、もう一度来たかったその理由はね、二つあるんだけど。
その一つはね、前回来た時、きちんと手を合わせて拝んでなかったのでww

「なんでそんなことで?」とも思うかもしれないけれど、なーんとなくね。
前回、ただの観光気分でなんとなく見て、眺めて、それで終わりだったもんだから。
それがあとあと、(供養する場所なのに、きちんと拝んでなかったな・・・)っていうのがちょっと気になっちゃってて。

再びここに訪れたかったのは最初はそういう理由だけだったんだけど。
ここにも書いてるけど→2012年10月8日の日記
あの、一瞬時が止まったかのような静けさと、あと、なんかよく分からんけど誰かに見られているような不思議な感覚・・・がずーっと忘れられなくてね。

そのせいなのかどうなのか分かんないけど、今、自分が抱えている大小諸々の悩みとか、モヤモヤした想いとかとか。
そういったものが、ここに来れば何か答えが見つかるような気がしちゃってさ。
これが二つ目の理由なんだけどね。


観音像の前を通り過ぎ、奥の弁財天が祭られてある、これまた彩り豊かな祠の前に来てお参りする。
ここの祠は本当にきれいで可愛らしい。しばし見惚れる。
その祠の向かい側に小さな池があり、不動明王のような小さな仏像があり。
でも風鈴はなかった。もう10月だしねぇ~。
そして、前回は見られなかった、池に泳ぐ数匹の鯉の姿もあった。

また観音像の前に戻り、さっきは付いてなかったろうそくに誰かが火を灯したようで、辺りにお線香の匂いが漂っていた。

さっきも拝んだけど、せっかく灯が灯ってるので改めてお線香を付けて再度拝む・・・・・・・・・と、そのまま上を見上げた時、観音像とばったり目が合い、一瞬ドキッ!とする。

ま、物理的に、線香立ての所に観音像の視線が行くような感じで作られただけのことだとは思うんだけどね。
なんかその目が合った時にさ、「ここに来ても答えはないよ」と言われたような気がしてさww
ここに来れば何か見つかるんじゃないか? と思って頼るように来てみたけど、実際はこれから先の自分の言動によって物事がいい方向に向かうか、悪い方向に向かうか、変わってくるんだろうな、と。
すべては自分次第ってことなのかな・・・・なんてなことをそん時に思ってさ。

取りあえず、一つ目の理由である拝むことはできたけど、二つ目の理由である「答え」は何も見つからず。
それどころか、新たな課題を出されたような気分だった。

いやそれでも、重たい気持ちとかではなくて、「しょうがねぇなぁ、んじゃやっていくか。」って言う。
どちらかと言うと前向きな気分で吉原弁財天を後にした。


それにしても。。。。。。
ここはそもそも関東大震災で亡くなった遊女を慰めるための場所なのに、なんでこんな、それとは全然関係のないことで一人であれこれ納得したり、課題を出されたような気分になったりしてんだろか、ワタシ(;^◇^;)ゝ

でも、も一度ここに来ることができて良かった。



(少し小腹がすいたな.....)
と、思いつつ、次の目的地である山谷堀公園へと歩みを進めたのでありました。
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2014.10.26 Top↑
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