私の好きな作家、宇江佐真理さんが去年の11月に亡くなられていたことを先月初めて知った。

宇江佐真理さんの読みかけの小説は、去年からほとんど読み進めておらず。
はっきり言ってこれは言い訳だけど、いくら好きな作家さんが書いた小説といえども、多彩ある作品の中には、その時の気分などでどうにもページが進まない時だってある。

それなら本を読まない間、何をしていたかと言えば、もっぱら自身の生活と、スマホのゲームと、そして音楽とで大半の日々が過ぎていき、気が付けば季節が二つほど過ぎ。
それでも時折、思い出したように本の続きを読もうとすれば、前回よりあまりにも時間を置いたため、それまでの話の流れなど細かいところを忘れてしまっている始末。
なので、もう一度最初から読み進めようとしたけれど、どうにもこうにも。。。
読みたくて読んでるのではなく、さっさと読まなければ! という強迫観念にも似た体(てい)で読んでいることに気付き、再び本を投げ出していしまっている状態。

そんな中での、私に届いた宇江佐さんの遅すぎる訃報は、初めて聞いた時より一ヶ月経った今、じわりじわりと心に沁みてきつつあるこの頃である。

(もう新しい作品は読めないんだな・・・)

と、思うと、やっぱりもの寂しい心持ちがする。


去年の11月頃と言えば、子供の頃に好きだった佐藤さとる 氏の小説「コロボックル」シリーズの続きものを(・・・実際、この続きものを書いたのはサットル氏ではなく、別の作家さん)、思わぬ形で手にしたおかげで、懐かしさ大半、読む楽しさ小半の気持ちでいて。

そんな状態だったから、久しぶりに宇江佐真理作品から離れていた時期だった。

そんな浮気心を起こしたせいで・・・というワケではもちろんないけども、私が他の作家さんの作品に心奪われて嬉々としていた最中に亡くなられていた、と聞いて、なんだかどうにも申し訳ないような気にもなった。

まぁ、別に、申し訳なく思わなくたっていいんだろうけども。


それだから、途中で投げ出してしまっている作品を再び読み始めるのかと思いきや、頭と心はそう簡単には繋がらず。
そんな状態でも、やはり読み進める気にはならない(スイマセン...)。

だけど、私が宇江佐真理作品の中で一番好きな「髪結い伊三次」シリーズは是非とも全巻読みたい。
いま手元にはない、残りの「伊三次シリーズ」を早く読んでみたいなと思う。

それまでの間に、と言う、ついでみたいでこれまた申し訳ないんだけど、宇江佐さんのエッセイ本を、いまは読んでいる。
一つのテーマがほんの2、3ページずつ書かれてあって、そのテーマが100と十数項目。それらを7つの章で大きく区切ってある。
だから、適当に開いたページを、こちらはお気軽に読んでいるわけでありまして。

そういえば、エッセイを読んでると興味深い話の一つや二つ出てくるもので。
いや、もっともっと、雨後のたけのこのようにたくさん興味ある話が載ってまして。
例えば、「死」というものについて、こんなふうに語られていた。

 自分の死には大いに興味がある。
  いったい、どういう状態でそれがやって来るのだろうかと。
 作家としての大いなるテーマでもあるが、誰も生きている内はわからない。
  なるほど、これが死かと思った時、自身はもの言わぬ亡骸となっている。残された者に伝える術(すべ)はないのだ。
  『ウエザ・リポート 笑顔千両』より

まさか、こんなに早く、健康体であったはずの宇江佐さんが癌に冒されて逝ってしまうとは、宇江佐さんご本人にだって分かるはずないよねぇ。

あ、あと、もう一方。私の好きな作家、永倉万治さんの話も書いてあった。(永倉さんも、もう鬼籍の人だしな。  いや、これ、ダジャレでもなんでもないです・・・・・・あ、わかんない? わかんなければ、別にいいです。  (なんだ、そりゃっ!))

ま、とにかく。
さきほどの伊三次シリーズの残りを、「読まなきゃ」ではなく、「読みたい」との想いで、手にするその日まで心待ちにしている今日この頃である。

ところで、宇江佐さんのウィキペディアを覗いてみたら、『心に吹く風』のあとがきで乳ガンであることを発表し、それが反響を呼んだと書いてあった。

だいたい本を読む時は、あとがきまできっちり読むし、『心に吹く風』なら私も持ってるのに、なんで気がつかなかったんだろ?
と思い、よくよく見てみたら「文春文庫版の…」と、あった。

そう言えば、私が持ってるのは同じ文春でも、ハードカバーの方だった。

これでは知る由もないのは当たり前だ。
スポンサーサイト
2016.09.02 Top↑
Secret

TrackBackURL
→http://fairground.blog78.fc2.com/tb.php/1789-b10ecc18