スティーヴィー・レイ・ヴォーンをスマホで聴きながら帰る仕事帰りの車の中。

(もうすぐ震災の日だなぁ)

と、なんとなく考えながら帰路を走る。


だからって何をどうするということもないのだが。

そういえば、震災当日。
14時46分にあの揺れが来てから、7年前の3月11日が終わる時まで、私がどこで何をしていたかとかきちんと書いてなかったような気がする。

この時、alfoo というネット上の一言日記みたいなものを書いててさ、ここにはいろいろ何かを書いてたような気もするけど。
なにしろ、あの揺れが来て以降、しばらくはネットが繋がらなかったから当日の事は書いてないし、その alfoo の日記は、今はネット上できれいさっぱり消えてしまってるし。

それ以外に、毎日ノートに付けている、(本来の意味での)日記があるんだけど・・・・・・だけどさ。

読み返してみると、11日の日付には、一言「地震があった。」しか書いてなくて。
それから18日までの一週間。ワタシ日記を付けてないのよね。
毎日習慣で付けている日記を書くのも忘れるほど、確かにあの時いろいろあったから。

ちなみに、一週間ぶりに書いた18日の日記には、「一週間ぶりに会社に行った。etc・・・」てなことが綴られてあった。

まぁそんなワケで、あの日のことをここに書いておこうかな、と。
誰かに教えるためというよりは、自分の中の記録として書いておこうかと。

思いのほか長ーい文章になってしまったので、これを読まれる方は時間がある時にどうぞ。


2011年3月11日(金)

いつものように会社に出勤する。
前日の、坂上二郎さんの訃報に、ちょっぴり寂しさを感じつつ、(今日は3月11日だから、JAMESの誕生日だな・・・)なんてなことを思いながら。
(あ、ちなみにJAMESって、元スライダーズのベースの人ね(^^ )
朝のテレビでは、約2週間前に起きたニュージーランドの大地震の、その後の経過を報道していた。

そして、午後2時半過ぎ。
昼も食べ終え、午後の、ちょっと眠たげな雰囲気の中、いつもどおりパソコンに向ってカチャカチャお仕事。
少し離れた場所に置いてある、過去の資料を横目で見ながら、
(今やってるこの入力終わったら、あれシュレッダーにかけておこうかな・・・)
と、なんとなく思う。

それから、少し経ち、小さくカタカタと揺れが来る。
周りのみんなも、「あ、地震だ」とは言いつつも、地震が来ることは特に珍しくはないから、この揺れもすぐに収まるだろうと思いつつ、ちょっと緊張して様子を伺う。

だけど・・・・・・・・・・・だけど、これ、なかなか収まらない・・・・・・・・・収まらないどころか、揺れが激しくなっている。

そのうち、整然と並んでいた事務机がガタガタと動き出し、それにつられてパソコンも何台か落下し、棚に並んでいた本やファイルなどがどさどさと落ち、その本棚も倒れ、みんな、取り敢えず机の下に隠れる。動こうにも、こう激しく揺れてちゃ動けないし、まともに歩くこともできない。

そして、長い。揺れが長い。

そんな状態だったけど、怖くはなかったのよね。
そういう緊急事態に陥った時って、ワタシ妙に冷静になるクセがあってさ。クセって言っていいのかどうか分からないけど。

その時も、(逃げ道用の)ドアは空いてるかな? とか、電気とかコンセントの類は大丈夫か? とか、そういえば、さっきまで入力してたあの仕事はどうなっちゃうのかな。まだ終わってないのに とか、 あ! こんなに激しく揺れてたら、家の中もぐちゃぐちゃになってんだろな、あ~ぁ.... とか。

そんなことをゆ~らゆらと揺れながら、考えてたんだけどね、突如、2週間前にあったニュージーランド地震のことが脳裏をよぎって。
あの地震でさ、6階建てのビルが崩れたんだけど、床が抜け落ちて、ビルの中に居た人たちがそのまま下へ落下し、ビルの下敷きになってしまった・・・というニュースを思い出してね。

ウチの会社は古くてオンボロだし、私が今いるのは3階。
もし、今私がしゃがんでいるこの床が抜け落ちたら・・・そのまま建物の下敷きになってしまったら・・・・。
なんてことを想像してしまってさ。

そしたら、途端に恐怖にかられちゃって。

それから間もなく揺れは収まる。
揺れが収まった途端、さっきまでの恐怖はどこへやら。まずは安全な場所へ急げ! とばかりに、取り敢えず会社の建物のから外へ出て、避難した。
全員無事。女性社員の中には、突然の事態に涙ぐんでる人もいた。
そして、家族、または学校へと家族の無事を確認するために携帯で連絡する人も多数。
この時はまだスマホが主流になる少し前だったので、ほとんどの人はガラケーでした。私も同じく(^^)

私もダンナやそれぞれの実家に連絡したかったんだけど、全っ然繋がらなくて。

ふと見ると、道路を挟んだ向かいの会社の人たちも、外へと避難していた。

あ、んで、その時はさ、まだ津波がどうこうという話はなかったんだけど、誰かがi Padで「仙台港付近に、あと〇〇時間で津波が来るらしいよ」ってなことを話してた。
だけどね、この時はまだ緊迫した雰囲気なんて微塵もなく、「あの揺れだから、津波もあるだろーねー」と、みんな口では言ってはいるものの、どこか別の世界の話みたいな感じだった。
ウチの会社は、その仙台港から約7キロぐらい離れてて、ものすごく近い距離ではないけれど、かと言ってそう遠くもない微妙な位置にあってさ。

実際、ウチの会社の辺りまで津波は来なかったけど、そこから3、4キロほど離れた地域では(揺れが来てからどれぐらいの時間がかかったのか分からないのだが・・・)津波が到達していた。


で、まず、役職に「長」が付く人たち(早い話、課長とか部長とか)は、このまま残って後片付けをし、あとは、帰れる人は今日はこのまま帰宅していいですよ、とのこと。

なので、私もその日はそのまま帰らせてもらうことにした。
でも、私のように車通勤の人もいれば、バスや電車通期の人もいて。もちろん、この状況下ではバスも電車も動かず。
なので、同じ部署にいた電車通勤の女の子を、途中まで送りがてら帰ることに。

制服のままの姿だったので、まずは私服に着替えるべく、いったん建物の中に入り、急いで着替え。
やっぱ制服だとスカートだからさ、何かと不便なもので。その時の私服は確かジーンズ履いてきてたから、取り敢えず下半身だけ着替えてww
ホントは着ていたワイシャツも私服のシャツに着替えたかったけど、急いでたので、そこはワイシャツのまま。
(ちなみにそのワイシャツ、その日から一週間ぐらいはそのまま着てました。っていうか、同じワイシャツを着たまんまだったことに気づいたのが一週間後だったので・・・(- -;*))

会社を出たのが、確か3時半過ぎ。
帰る途中、いつもの見慣れた風景が、変わってた。
あのビルにヒビが入ってる! とか、あの建物の窓が全部散乱してる! とか。
私も、部署の女の子も、いつもと違う状況に不安を隠せないのか、妙に二人ともハイテンションで車の中でそんなことを喋くってた。

そして、車を運転してて、一番変わってたこと。

信号が止まってる.....( ̄▽ ̄|||)

電気が止まってるから、当然、信号も機能していない。なので、信号のない道路を走ってる状態。
交差点を走る時は怖かったけど、そこはお互いの車が譲り合いで、なんとか事故にはならず。

そして約一時間後。
会社の女の子を無事に家まで送り、さ! あとは急いでおウチへ帰ろっ! と運転し始めたのはいいものの・・・。

さっきも言ったけど、信号が停止してるし、なにしろいつも以上に混雑してるしで道路は渋滞。
いつもなら、その場所から遅くても一時間もあれば帰宅できるところを、一時間たってもまだ2、3キロぐらいしか走れてない。

おまけに辺りはだんだん暗くなってくるけど、電気が通じてないから信号どころか街路灯も点かない。
とうとう夜になってしまったけど、灯りと言えば、それぞれの車のヘッドライトのみ。
またもや交差点が恐怖!

昼間は辺りが明るかったからまだ良かったけど、あの暗闇の道路を走らなきゃいけないという恐怖はもぉ・・・・怖いなんてもんじゃなかった。
それに加え、新たな問題が発生。

それは、ト・イ・レ。

ちなみに、大きい方じゃなくて、小さいほうね。
小さいほうが溜まりだしてきて。

最初はなんとかガマンできてた。
気が付けば、時間は夜の9時過ぎ。
あれから数時間も経つのにまだ家に着かない。いや、具体的に言えば、あと数百メートル走れば家にたどり着くところまで来ている。

なのに・・・・なのに・・・・着かない。道路は渋滞、動かない、漏れる、漏れる、漏れる、ガマンできない。<(T◇T)>うぉぉぉぉぉ!!!

あ! そういえば、もう少し行った所にコンビニあったよな。ちょっとそこに寄って用を足そう。

などという考えが甘かった。

その日ばかりは、コンビニというコンビニ。いや、コンビニどころか店舗という店舗はどこも営業しておらず。
当たり前っちゃ当たり前だが。

もうね、今となっては笑い話だけど、その時はもう必死でさwwwww
車の中に漏らしてしまおうか、とか。
車が何分も動かないのをいいことに、そこら辺を歩いてる人に声をかけ
「数分間だけ、この車に乗っててもらえませんか? すぐ戻りますから。どうせ、渋滞で何分も動きませんから。すぐ戻りますから、すぐ」
と言って、そこから自宅まで走って行って用を足そうか、とか思ったり。

まぁ、これは↑思うだけで実行はしなかったけど。

でも、どうにかこうにかノロノロでも車は動き、なんとか家にたどり着いたのが、夜の10時頃。

先に家に着いて、玄関で私の帰りを待っていたダンナが
「大丈夫だったか!」
と、伸ばしてきたその手を無視し、一目散にトイレへ駆け込み・・・。

ジャーッッッ!(水が流れる音)

あの時の安堵感たらなかったな。

ちなみに、当然、水道も止まってたけど、その時はトイレのタンクに溜まっていた水があったので取り敢えず流れました。

それからは、お互いに地震があった時の状況や、どんなふうに帰って来たかとかを話した。
普段、地下鉄通勤のダンナは、その日は会社から家まで何時間もかけて歩いて帰ってきたらしい。

それから懐中電灯を頼りに、家の中のそれぞれの部屋を見て回る。
リビングに山積みになっているダンナの本は崩れ、台所にある、大の男が二人掛かりでもなかなか動かせない重い食器棚は、横に何センチも移動していた。

そして、二階にある大量の本やCDが置いてある部屋は、本棚が全部倒れ、CDが床に散乱していた。
足の踏み場もない、という言葉通り、そこらじゅうの床にCDがばらまかれている状態で。
だけど、そのCDの上を歩かないと進めないので、しょうがなくCDを踏みながらそろそろと前に進む。
当然、真っ暗だから、懐中電灯を点けているとは言え、どこに何があるのか全く分からず。
なので、足元で、CDケースがペキッ!と壊れる音がするたび、(あ~ッ.....)と、顔をしかめる。
(なので、あの震災で私が所有しているCDのCDケースが壊れているものが多数あるんだけど、床に落ちた衝撃で壊れたのではなく、上から踏んで壊れてしまった・・・というのがほとんどです。)

寝室は、壁が砂壁? じゃないんだけど、あの壁はなんていうんだろ?
触るとザラザラする壁なんだけどさ。
そのザラザラが揺れで下に落ちて、畳の上がザラザラしてた。

お昼を食べてから何も食べてなかったけど、全くお腹はすいてなくて。
暗いから、家の中が具体的にどんな状態になっているかよく分からなくて、近くの小学校に避難することも考えたんだけどさ。
取り敢えず家は倒れることもなく無事だったので、そのまま家で待機。
夜も遅いことから、もう寝ることにした。

最初は、落ち着かなくてとてもヨコになって寝るどころじゃなかったから、階段に座ってうたた寝程度で済まそうと思ってたんだけど、3月とは言え、まだまだ雪が時折チラつくような寒い時季。
とにかく寒くて寒くて。でも電気が通じないから石油ファンヒーターも使えないし。
それに、ずっと緊迫してたから気づかなかったけど、やっぱ体が疲れてた。

寝るとはいえ、二階の寝室は下がザラザラだから布団も敷けないし。
いや、その前に、大きい余震がひっきりなしに来てたから、その日は玄関近くの部屋で寝ることにした。
何があるか分からないから、玄関のカギは敢えて閉めなかった。

寒いので、頭にニット帽を被り、何枚も重ね着して、寝室から布団を持ってきて、くるまって横になった。
念のため、ラジオを点けっぱなしにして、少しでも情報を聞き出す。
時折大きい余震が来たりしてなかなか落ち着かなかったけど、それでもいつの間にか眠ったらしい・・・。



と、いうのが、あの揺れがあってから、一日が終わるまでの、私の行動。

次の日、塩釜に住む お義母さんをウチに連れてくるために、ダンナは車で塩釜まで迎えに行く。

これ以降、ガソリンの配給が不安定だったため、しばらく車を使うのも控えてた。

その2、3日後に私の実家とも連絡がとれ、母親の安否が確認できた。


あの時から7年。
あっという間というべきか、長いというべきか。

今日の14時46分に黙とうしつつ。

忘れようったって、とてもじゃないけど忘れられる出来事ではないよね。
でも、あんな思いは二度とごめんだ。
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2018.03.11 Top↑
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